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はじめまして!

私のブログ

エンジニアや研究職が『お金』と『キャリア』の

 自由を手に入れる方法

 ~弁理士という選択~」を

訪問していただき

ありがとうございます!!

このブログを運営している

弁理士のサク(ニックネーム)です。

 

 

約10年前に弁理士試験に合格し、
東京都内の特許事務所2箇所での
勤務経験を経て、

現在、個人事業主として
仕事をしています。

ありがたいことに、
色々なご縁を頂けて、
未経験でこの業界に飛び込んで、
年収は、弁理士になってから、
3年目で1000万円以上
稼げるようになりました。

私のバックグラウンドを少しお話ししますね。

 

私の弁理士試験の受験時代

ここから私の弁理士試験の
受験記を書きますね。

私は、全くの0から、
弁理士試験に約1年半かけて、
1発で合格しました。

これだけ聞くと、
順風満帆だなと思うかもしれませんが、
全く順風満帆ではありませんでした。

弁理士試験を受ける前年の10月に、
大手予備校の論文答練を
はじめて受けました。

しかし、その日、私に分かる問題は
1問もありませんでした。

論文答練では、
問題文から、何を聞かれているのか分からず、
当然、何を書いたら良いか分からず、
提出しました。

試験中は情けなさで涙ぐみました。
今日来る意味なかったじゃん・・・

論文答練後に、
「あの問題どうだった??」と話している
周りの受験生に、

(あの問題もどの問題も何もわからなかったよ、
自慢気に話しやがって嫌味な受験生。。)

と身勝手な批判を
心の中でしていました。

結果は、もちろんダントツの最下位(汗)

その年の4月から予備校で入門講座を
受けていたにも関わらず
なぜそんなことが起きたのか??

理由は簡単。

弁理士試験の
論文対策を全くやっていなかったのです。

論文対策って何?
どうやって勉強したら良いの?

という感じで、
勉強方法が分かっていませんでした。

しかし、
あることをきっかけに、
徐々に、点数が上がっていき、
弁理士試験の直前の模試では、
合格圏内まで点数を伸ばすことができ、
弁理士試験に合格することができました。

え???
なんで??
変わりすぎじゃない??

そんなツッコミが聞こえそうですね。
なぜこんなに
激変することができたのか?

それは
「正しい戦略」

「勉強法」に出会ったからです。

はやく、その戦略を教えてくれ!
という声が聞こえてきそうですが、
その前に、
もう少し私の
自己紹介を続けていきます。

 

私が弁理士になった経緯

読者さんには、私のように、
弁理士にキャリアチェンジするかどうか、
迷っている方もいると思うので、
私のキャリアについてお伝えします。

ここから私の1つめの特許事務所への
転職経緯について書きますね。

私は、1つ目の特許事務所に転職する前は、
研究機関で、任期つきで、
研究・開発をしていた研究員、
いわゆるボスドクだったのです。

研究機関では、
研究開発の成果を基に、ベンチャー企業を
立ち上げることを夢見て
研究開発を行っていました。

しかし、研究開発は、
順風満帆とは行かず、
ベンチャーを立ち上げられるような
成果を挙げられませんでした。

そうこうしているうちに、
任期が終わりかけて、
転職活動を開始しました。

大学、研究機関、20くらいの職に申し込みましたが、
結局、内定を頂けたのは、1つのみ。
そこも、研究者仲間の先生にきいたところ、
ブラックな研究室で有名なところで、
誰も継続する人がおらず、
常に人材募集中というところでした。

そこで、企業の研究職を探し始めたのですが、
タイミングが悪く、
当時、リーマンショックの直後で、
求人も冷え込んでおり、
企業の研究職の募集自体が
少なかったのです。

私は、特殊な研究をやっていたので、
マッチする求人がなかなか見つからず、
少し募集要項とはずれている求人に
応募しては、
書類選考でNGになることを
繰り返していました。

当時、専業主婦の妻と、
小さな子供を抱えていた私は、

・無職になってしまい、
養っていけない。。。

・このままでは、
社会のレールから外れる。

・このまま、無職になったら
周りから馬鹿にされるに違いない。

そんなことを考えて
自分を自分で責めたり、
自分の将来を悲観していました。

そうやって、悩んでいたところ、
同じ研究機関から特許事務所に
転職した方の話を聞きました。

その当時、弁理士の平均年収を
インターネットで調べたところ、
800万円と記載されており、
当時の収入の倍近くでした。

これなら、妻と子供を養える!
と思いました。

大学、研究機関、企業の研究職の道が
閉ざされつつあった私は、
精神的に追い詰められていました。

また、昔から
一生、普通のサラリーマンは嫌だ!
と私は思っていました。

なぜ、そう思ったのかというと、
私の父親は、比較的小規模な上場企業の
サラリーマンだったのですが、
毎日、深夜まで残業していました。
でも、給料は、本当に少なったです。。。

友達のお父さんが、
地元企業の専務をしていたのですが、
うちの父の収入は、
そのお父さんの半分にも満たなかったのです。

母は、常にお金がない恐怖に襲われており、
私は、お金の不安を刷り込まれて
生きてきました。

「100円の菓子パンは買っちゃだめ。
なぜなら100円あれば
1斤のパンが買えて
1週間の朝ご飯になるから。」

「ペットボトル飲料も買っちゃダメ。
パンが1斤買えるから」

そう教えられて育った私は、
親元を離れて暮らしても、
スーパーのチラシを見比べて
一番安い時に物を買うようにしたり、

野菜はこのスーパー、
ヨーグルトは100円ローソン、
調味料はこのスーパーが安い、
など自転車で食べ物を調達するにも
いくつものスーパーをはしごする、
節約生活をしていました。

そして、私の父親は、
上場企業で、営業企画部長になった
にも関わらず、

なんと

年収が1000万円に
届かなかったのです!

その当時、研究職ではなく、
IT系の企業の技術者などに
転職することも検討しました。

ですが、転職したとしても、
中途入社であれば、
大企業では出世コースからは、
外れています。

よっぽど成果を挙げなくては、
出世や年収を上げることは
難しいと思いました。

上場企業で、
新卒から営業企画部長に昇りつめた父ですら、
年収1000万円に行かなかったのだから、
私が、企業に転職したとしても
年収1000万円はおろか、
父の年収すら遠いな~と感じました。。。

今までの人生でずっと
お金の不安と共に過ごしてきた私は、
企業に転職することが
どうしても安全と思えず、

自分で稼ぐ力をつけたいと思い
弁理士を選択しました。

弁理士は、平和産業で、
お客さんは、技術系の企業が大半で、
弁護士のように、ヤクザ、チンピラ、
人間的におかしな個人と交渉することもないので、
できると思ったし、

自分の努力次第で稼げる方が、
人の機嫌に左右される
サラリーマンより安全だと思ったのです。

また、弁理士の資格があれば
1つ目の特許事務所が合わなくても、
別の特許事務所に簡単に転職できるのも

弁理士を選んだ一つです。

 

また、ずっと、

父親のようなサラリーマンは嫌だ、
と思っていて、
その当時、
今更、研究職以外で
企業に転職しようとは、
どうしても思えなかったのです。

 

その後、弁理士試験受験の前年の9月に、
特許事務所に転職し、
働きながら、弁理士試験の勉強を
続けました。

 

ゼミへの参加と勉強法の構築

そこで、冒頭に書いたように、
弁理士試験受験の前年の10月の
初めての論文答練で、
最下位になったのです。

このままでは、来年の弁理士試験は
不合格だ~!

そう思い、私はあわてて、
弁理士試験短期合格法、的な本、
勉強法、脳科学に関する本、
予備校が配っている
合格体験記を読み漁り、

どうやったら合格できるのか?
ということを考えることに、
時間を使い始めました。

「どうやったら合格できるか、
本気で実行可能な方法を考えよう」
という思考に転換したのです。

そこで、
勉強には

繰り返しが大事であること、

短期合格するには、

(1)切磋琢磨する仲間と

(2)メンターとなる弁理士が

不可欠、という結論が出ました。

 

そこで、

切磋琢磨する仲間と

メンターとなる弁理士を

求めて、

弁理士試験用のゼミに

参加しました。

 

そこで、本当によいメンターの弁理士に

巡り合うことができたのです!

 

そのゼミで、仲間と切磋琢磨しながら、

メンターの弁理士からフィードバックを

受けながら、論文の書き方を身に着けて

いきました。

 

また、色々な本を読み漁って
考えついた勉強法でやってみよう!と決意し、
実践するようにしたところ、
復習がスムーズにできるようになり、

 

勉強法を実践するように
なってからは
勉強中の気持ちもかわりました。

その前は、勉強中や、
勉強にも手がつかず、
たまーにやっても

「合格できるのだろうか?」
「来年どうしよう?」など、
迷いや不安が出てきて、
ちっとも集中できませんでした。

しかし、
勉強法を決めて始めてからは、
授業を受けた後、
「早く復習しよう!」
と半分ウキウキしながら復習をして、

「合格したらあの人に
こうやって報告しようかな?」なんて
妄想しながら作業できるようになったのです。

そうやって勉強法を決めて、
勉強を続けた結果、

見事1回目の
弁理士試験で
合格することが出来たのです!

 

現在の私の生活

私は、いま、東京都内の
弁理士として活動しています。

私の日常はこんな感じです。

月曜日から金曜日までは
弁理士の仕事をしています。

・取引先企業からの特許戦略・特許出願の打ち合わせ
・特許・商標出願用の書類作成
・特許係争の相談
・特許訴訟、審判の書類の作成
・特許・商標調査
・弁理士会での会務(弁理士会での会議、研修会の準備など)

などなどの業務をこなしています。

忙しい時ももちろんありますが、
個人事業主でやっているので、
暇なときは、自由に休んで、
勉強会に参加したり、
交流会に参加したり、
個人の用事(銀行、歯医者など)を済ませたり、
結構自由にしています。

特許事務所に勤めているときは、
やることがないときでも
定時が決められていたので、
それまでは、帰ったり
外出することもできなかったりで
窮屈でした。

この時間に何か生産的なこと
できたらいいのに、
と思いながらも、
本当にやることない時もありました。

「私何のためにここに存在しているのだろう」と
1日終わるとどっと疲れました。

今は、もし暇な時間があれば、
新しい勉強(法律、ビジネスなど)をしたり、
情報発信をしたり、
外に出て人に会いに行ったり、
自分で考えて動くことが出来てすごく楽しいです。

自分のクライアントに対する仕事は、
一人で完結するので、
パワハラや嫌がらせをする上司や先輩など
がいない点も良いところです。

また仕事が終わった後は
仲間と食事をしたり、
様々な勉強会に行ったりなど、
有意義な時間を過ごせています。

特に、2つ前の事務所及び1つ前の事務所で
勤務弁理士をしていたころは、
残業も多く、
人と約束しようとしても仕事が終わらず
行けないなど、

自分で時間を自由にコントロールできないことに
かなりストレスを感じていたので、
今の自由さが本当にありがたいですね。

そんな日常を送れるようになったのも、
弁理士として独立して仕事ができるうように
なったおかげだなぁと感じています。

 

あなたへ

弁理士として成功することで、

お金やキャリアの自由が手に入りました。

 

ですが手に入らなかったものが一つだけあります。

それはお金やキャリアの自由を手に入れても、

一緒に楽しめる仲間がいないということ。

 

自由な人生を共有できる仲間が欲しい!

 

昔の私のように悩んでいるエンジニアや研究員の方を

 お金とキャリアの不安から解放したい!

 

と思ったのが、

この

エンジニアや研究職が

「お金」と「キャリア」の自由を手に入れる方法

~弁理士という選択~」を始めた理由です。

 

なのでここでは、

「弁理士試験に1年で合格する!」をテーマに、

エンジニアや研究員が

お金とキャリアの不安から解放されるための情報を

発信しています。

 

正しい勉強法で継続すれば誰でも、弁理士試験に

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